ストーリーのないシナリオ|20枚シナリオの書き方事講座

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特別講座:”ストーリーのないシナリオ(serial experiments lain)”

■例えば、こんな日記があったとします。

『◯月?日


 今日は少し早めに家を出る。

 会社に向かう途中、一度も赤信号にぶつからなかった。

 なにかいいことありそうな予感



 ……と思ってたら、今度のボーナス、増えるって話。

 ラッキー!! やっぱり今日はついている!!』



赤信号に出会わず会社まで行かれたことと、ボーナスが増額されることとは、本来なんの因果関係もないことで、偶然二種類のできごとが重なったに過ぎません。それでも、この日記の主が”今日はラッキーだ”と思っているのは、その主自身が自分の経験した出来事を、”幸運”という文脈でひとつの物語に組み上げているからとも言えるでしょう。
はじめから幸運だったからそういう出来事があったわけではなく、自分は幸運だと思う(あるいは思いたい)から、諸々の出来事を幸運という文脈でつなぎ、ひとつの物語として汲み上げているわけです。



ストーリーがストーリーとして成立する所以は、それがある意図に基いて連続した文脈として構成され=つまり、個々の出来事をある意味によって連続していと思えるように、作り手が受け手を誘導しているからです。上記の日記で言うなら、日記の書き手自身が個々の出来事をつないで自分がラッキーだと思うようにしているように。

このことを裏返せば、こういうことも可能ではないでしょうか。

■つまり、個々には繋がりのないバラバラの情報や意味であっても

それを繋ぎ合わせようと思う意志があれば、それはストーリー足りうる、と。

 

プレイステーション用ソフト『serial experiments lain』は正にそんなゲームです。
アニメを中心としたメディアミックス企画として制作されたタイトルで、ネットワークと自己存在の意味を問う物語が展開する作品です。
このゲーム版『serial experiments lain』は果たしてゲームと呼ぶことが出来るのかどうかすら難しい、極めて異色な作品です。



プレイヤーに可能なことは、仮想空間の中に散らばった大量の情報の断片(映像や音声、テキストデータ等)を任意で再生すること、ただそれだけです。
プレイヤーはただその情報を自分の意志で拾い集め、この物語に関わった登場人物たちの身に何が起きたのかを、自分自身で再構成しなければなりません。
ここには、前回お話したようなゲームに特有の『やらされている感』はまったくありません。物語の作り手がプレイヤーを誘導し、順番通りにプレイさせる必要性がないからです。
しかし同時に、作り手がプレイヤーを完全に突き放してしまっているため、プレイの進行に欠かせない”動機”に欠けることも確かです。



その事がこのタイトルを賛否両論を分ける作品としていることは間違いありません。ただ、こう言うこともできると思います。
しばしばゲームにおいては、その中で語られるストーリー(その主人公)の動機と、プレイヤー自身の動機(ゲームを遊びたい)が乖離する問題がどうしてもつきまとうが、この『serial experiments lain』はその問題にひとつの解答を示して見せたタイトルである、と。そこで語られる物語を読み解く動機は、散在するデータを拾い集めるプレイヤー自身の意志にあるのだから。

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