たまにはお約束を破ってみよう|20枚シナリオの書き方事講座

お気に入りへのご登録はお済ですか? ⇒ 

第13回:”時にはストーリー作法のお約束を破ってみよう”

■小説や映画と、ゲームのシナリオはどう違うのか。

前回までの説明で『分岐』『ループ』という特徴を上げて説明をしてきましたが、筆者にはそれとはもうひとつ別の、大きな違いがあると思っています。
皆様はお分かりになるでしょうか?
それは、鑑賞(プレイ)に際し、小説や映画のような”時間の拘束”を受けない、ということです。
この場合の”時間の拘束”とは、ひとつはその作品ボリュームの物理的制限から来る、鑑賞時間の制約。もうひとつはその作品を鑑賞する時間の不可逆性を意味します。



鑑賞時間の制約とは、その作品を鑑賞するのにかかる時間が限られているということです。
長編小説の長さは作品によってマチマチですが、それでも一応、ある程度の範囲に収まることは誰にでも分かることですよね。
5ページの小説は長編とは言わずショートショートですし、いくらページ数が多くても、一冊のボリュームの上限はせいぜい2000〜3000ページと言ったところでしょうか。



無論、複数の刊に分けて出版されるような大長編にもなれば、そのページ数の総計が1万を超えるものだって不思議ではないですが、その場合でも、1巻ずつ区切られた、その巻自体はそれだけで1つの長編小説としての構成的まとまりを持っていることが殆どです。
人によって読書する速さはまちまちではありますが、それでもその差が10倍にもなるという事はまずないと思われます。

映画は、小説より更に鑑賞時間の制約が大きい表現方法です。

■中には上映時間が3時間を超える超大作がないわけではありませんが

殆どの映画は大体2時間の枠に収まるようにできています。
一旦、読みかけた小説をそのまま何日も置いておくことや、観かけた映画のDVDを停めて、別の用事をする……という事も時にはあるでしょう。
しかしそれでも、その作品を読んでいる(観ている)時間そのものは、予め与えられたページ数や上映時間によって決定されています。
時間の不可逆性というのは読んで字のごとく、その小説や映画をさかのぼって鑑賞することはありえない、ということです。
小説を最後の行から逆に読んでいく人は、まずいません。映画を逆再生でラストシーンから観る人もありえないでしょう。
実は小説や映画の”鑑賞に対する時間的制約”は、そのままその制作方法にも大きな影響を与えていると言えるのです。


『ハリウッド大作映画がどれも似てしまう原因となる台本作りの「公式」とは?』(GIGAZINE)


この記事を読めば、ハリウッド映画が実は分刻み・秒刻みでシナリオを管理し、一定の公式に基づいてどこで展開を盛り上げ、どこでドラマを見せるか、その要素が最初から決定されていることが分かります。(勿論すべてのハリウッド映画がこの公式に基づいて制作されているわけではありませんが)
小説も同様で、全体のページ数から逆算して起承転結にそれぞれ何ページを割り振るか、どれだけのページをクライマックスの為に用意するかなど、予め計算した上で執筆をするのが定石です。
人間の集中力やバイオリズムには一定の周期やリズムがあり、小説や映画もそのリズムを考慮して制作すべきだという主張は大いに首肯できるものでもあります。

しかし、ゲームの場合は大いに事情が異なります。

■ゲームを評価する重要な要素として

筆者は以前『リプレイ性(やりこみ要素)』を上げました。ゲームは物語を描くだけではなく、本来は遊ぶためのものです。何度プレイをしても飽きさせないような工夫……さまざまな隠し要素や、周回プレイ毎に出現する新しい要素が求められるのは正にそのためです。
皆さんも経験があるのではないでしょうか?
例えば『ドラゴンクエスト』。ストーリーの進行そっちのけでカジノに入り浸って夢中になった覚えのある人は多いでしょう。
『ウィザードリィ』で、迷宮最深部に立てこもる魔術師ワードナのことなど放り捨てたまま、果てのないレベルアップやレアな武器防具の収集に心血を注いだ人のケースも、枚挙に暇がありません。


これは、小説や映画においては作中の時間を進行させるのはストーリーですが、ゲームにおいてはその限りではない、ということを意味しています。
ゲームにあっては、本来ストーリーがその進行に依存する時間の制約がない、もしくその影響が薄い。そのことが、ゲームのシナリオ制作にも大きく影響するのです。
小説や映画のシナリオの作り方講座の本やサイトを見ると、必ず書かれている事柄の一つに、『余計な要素はカットしろ』というものがあります。
これは限られたボリュームの中に必要以上の要素(設定・シーン・描写)を詰め込みすぎると、全体の構成が破綻してしまうからです。


■しかし、ゲームに於いては

その『必要以上の要素』が重要なファクターとなる場合もあるわけです。そう、『分岐』や『ループ』の結果として生じる、新たな展開……サブシナリオとして。
もちろん、一個一個のストーリーラインの構造に対し、できるだけシンプルに、無駄を排除して作るという原則はゲームの場合にも当てはまります。
しかし、ゲームの場合、ひとつのストーリーラインから省かれた要素を他のラインで拾うことが可能です。
メインシナリオの構成から離れたエピソードをサブシナリオで描くということは良くあることですし、むしろそれが求められるのが、ゲームシナリオの役割と言っても過言ではありません。


その”捨てようと思った”要素が、不要であるかどうか、もう一度考えてみましょう。モジュールを構成する要素にならないか、サブシナリオに組み込んでいくことはできないか? 再考の余地は大いにあるのです。それができるのが、ゲームのシナリオを作成することの、他にはない、大きな醍醐味であることは間違いありません。
※ただし、当然のことではありますが、ゲームと言えどもボリュームは無限ではありません。制作の予算や人数、期間によって、可能なボリュームは自ずと制限されているという、実情にも配慮した上で、可能な範囲でどれだけ要素を詰め込むことができるか、それを考える必要があります。
今回まではシナリオを構造的な面から考えてきましたが次回からは、シナリオを支えるもうひとつの重要な要素……キャラクターの角度から、シナリオを構成していく方法を考えていきたいと思います。

おすすめの書籍とサイトはこちら